ジェミーの散らかった部屋

りんごを丸かじりします

私の知らないウイグル

 

砂漠と空。地平線。太陽は静かな暴君として砂漠の隅々まで己の支配を行き届かせ、大地はその広大な懐で太陽を照り返す。黄金のまぶしい大地は空をより青く見せる。この紺碧と金色は絵の具で描いたように力強く融和する。ここは草木一本たりとも育つことを許さない厳格な土地。そこに引かれた真っすぐのコンクリートを私の乗る車は走り抜けていく。人も生物もいない静寂で、車と風だけが耳にささやきかける。太陽の厳しさに目くらくらするけれど、そのめまいさえこの美しい二元的な世界ではうっとりとした恍惚に感じられる。車の窓を開ける。灼熱の生き生きとした風が顔にぶつかり、心地よく目を閉じる。広大な空と大地には人を寄せ付けない強大な力がある。その強さに、うっとりとする。

突然、葡萄畑が広がった。みずみずしい葡萄たちが車の窓から絶え間なく現れては後ろに去っていく。私は運転手に言って、車を降りてみた。大地から続く青々しい蔓が頼りない木の支えにしっかりと絡まり、支柱と支柱の間に背格好くらいの高さに葡萄たちが実る。見上げると、それははち切れそうなくらいみずみずしい果実をたっぷりとつけてぶら下がり、若い葉と蔓の間から青い空が覗く。どこまでも向こうまで夭々たる豊かな果実のトンネルが続く。紫色の葡萄と紅色と萌黄色。葉は表は濃く裏は薄緑に蓁々と繁り、こんなにも色とりどりで優しく、うるわしい大地におどろく。車に戻って道を進めた。どんなにこの車がはやく走ったとてこの豊かな風景は尽きない。葡萄と砂漠。この土地の、美しい厳格さと、それに囲まれた尽きない富の不思議な同居に、目を奪われ、心臓をぎゅっとつかまれる。

 

「ラムレーズンが買いたいんだけど。」

私は車の後部座席に揺られながら英語で尋ねた。ここはユーラシア大陸の内部。葡萄の名産地、新疆ウイグル自治区の土魯蕃だ。今朝この駅につき、テロ対策のためかやたら厳しく持ち物を調べられた後外に出た。朝日が古いコンクリートの白い壁を照らしていた。駅の電工掲示板が赤やオレンジや緑にひかり、見慣れない雰囲気の顔たちの間を歩いていた。ここは行きたい街からは少し離れていて、どうやっていこうかと考えていたところ、英語のわかる現地の運転手が話しかけてきた。彼はタヒルといい、多くはしゃべらないが、優しく笑う人だった。商売人特有の作り笑顔はなく、少し内気で、時々笑う、柔和な雰囲気を漂わせた青年で、女性一人の旅でも信用できそうだと思った。運賃を交渉した。お腹がすいたと伝えたら、朝ごはんに連れて行ってくれた。もちもちした麺料理のラグメンを一緒に食べ、彼と私は二人街に向かった。そして砂漠を抜け、いま、葡萄畑の間を走っている。柔和なウイグル人の青年は、この民族特有の大きな目をカーミラーに映し、後部座席の私に聞き返した。

「ラムレーズンってなに?」

運転手のタヒルは三十才だ。イスラム教を受容したウイグル族の一人で、英語を学び、外国人向けにタクシー運転とガイドをしている。彼は奥さんとは十八才のときに出会い、五歳と三歳の娘と息子がいるといって、写真を出してスマホを渡してくれた。三輪車にのった女の子がタヒルと同じ柔和で大きな目で少し恥ずかげにこちらを向き、ピンク色のスカートを風に揺らしている。その奥でタヒルが男の子を抱き、かいがいしげに子供の顔を覗き込む。愛情を受ける小さな命は心もとないつぶらな瞳でカメラをみつめる。可愛いでしょと笑顔でカーミラーを見た。あんまり幸せがいっぱいすぎて、目尻からこぼれおちそうだ。だんだんその笑みから力が抜け、遠くを見つめる。でもね、結婚にはちょっと苦労したんだ。向こうの両親がはじめ結婚を認めなかったし、未婚の男女が会うのはイスラム教の説く貞淑さに悖るから。そう言う彼の目はここにはおらず、かつての喜びや苦しみのすべてが優しい思い出となった、穏やかな顔をしていた。伝統的なウイグル帽をかぶらず、英語を話す現代的なウイグル人の彼。土地のよき文化の中にそまりつつ、親の世代の価値観に少しの疑問と反抗心を抱く、とても健全な青年像がそこにあった。彼は友人に会うために礼拝には足を運ぶ。毎週友人たちと会い、固い握手を交わし、たった一週間の日常の変わり具合を話し、お互いのことを知る。彼らは、礼拝という口実をもとに、ぶどうのように、ゆるやかに、豊かに、世話の施された関係を持っていた。しかし私の些細な質問で状況は変わった。

「ラムレーズンなんてわからないよ。なんだよそれ。」

ヒルはアクセルを踏んだ。車がずんと揺れ、加速した。豊かな葡萄畑はぷつりと途切れた。再び厳しく広い砂漠のなか、コンクリートの細い一本の上を我々の車がぽつりと進み始める。かなりの速さで駆け抜けているはずなのに、青と金のあまりに強く、変化のない景色は私の進みがどれだけひ弱なものかというのを思い知らせてくる。一抹の不信が心を掠めた。ここはテロがあると聞く地域だ。あの柔和なタヒルから笑顔がなかった。さっきまでの暖かい雰囲気が泡のように消えていた。私は位置情報アプリを開き確認すると、行くべき街とは違う方向に進んでいた。おかしい。タヒルスマホをポケットから取り出した。そのせいで車はひどく揺れ、ドアに肩がぶつかり身体が悲鳴をあげた。すると彼は片手にハンドル、片手にスマホをもち電話を始めた。びっくりするほど低い声をしていた。知らない言語の、聞いたこともない音と抑揚が車内に響いた。音の出し方すら分からない乾いた発音が繰り返し耳についた。うるさい声ではなかったが、彼の大きな背中に、未知の言葉に、心臓まで響く低い声に、からだが萎縮していた。私は、たった一人だった。このさっき知り合ったばかりのウイグル人は私をどこへ連れていくのだろう。不吉にのみこまれてしまいそうだ。こっちは行きたい方角じゃないと主張してもタヒルは反応しない。ミラーをちらりともしない。もしかして騙されたのかな。不安そうに前を見つめ、無意識に自分の手を固く握っていた。どうして。どうしてさっきまで柔和だったタヒルが突然怒ったように押し黙るのか。街と垂直の別方向に進んでいくのか。私は、ここのことをなにも知らない、異邦人だ。今朝見かけた優しそうなタヒルだけを頼りにここまで来た、土地も言葉も、あまりに無知な余所者だということを思い知った。人をよせつけない砂漠のど真ん中、どうしようもなかった。スマホの画面上の地図は、広大で、何も記すものがない芒漠を、小さな車が進んで行く様子をむなしくあらわしていた。

怖じついてそわそわしながら、車は砂漠を抜け、小さな葡萄畑を通りすぎ村へ入った。車のスピードは緩まり、土煉瓦やトタンの建物が現れ、タイヤの並ぶ店の前で車は急ブレーキがかかった。私は背もたれに頭をぶつけた。タヒルはまだ電話を続けており、運転席の窓をあけた。店から五十代くらいの顎の突き出た男性が出てきた。生まれつき眉をひそめているような険しい表情をしていて、私はこれから何が起こるのか、あらゆる恐怖を頭のなかでめぐらせた。体は動かず、硬直したままこちらに向かう男性を私の目だけが追った。彼はこちらを一瞥し、真顔のままタヒルと握手した。乾いた独特のリズムの言葉が交わされていた。するとタヒルはこちらに振り向いた。

「日本語の分かる友達のところに来たから、君のいうラムレーズンの質問をしていいよ。」

ヒルは、暫くぶりに優しい目を私に注ぎ、にこりと微笑んだ。不意をつかれた。彼は、そうか。私のために、わからないこと解決しようと真剣になりすぎて、厳しくなっていたのだ。体を締め付けていた不安がふっと解かれ、安堵の嘆息がからだじゅうに広がった。彼も知らない言葉に不安で、私のために、砂漠をひとつ越えてここまできてくれたのだ。今、安心した彼の笑顔の、優しく愛らしい目尻からは、それはもう、花が溢れてくるように感じた。後部座席の窓を開けてくれ、タヒルの友人であるおじさんは窓を覗き込み、ひそめた眉のまま笑った。

「あなたは何がほしいですか?」

私は安息の心地よい波に浸った。この田舎のタイヤ店のおじさんは、昔日本でシルクロードブームが起こったときに日本語を学びバスガイドとして働いていたが、もう観光客のほとんどが中国人で日本人はめっぽう減ったからガイドの職を離れ、タイヤを売る店を開いたと語った。もう仕事にはしていないが、それでも時々日本語を喋れる自分を頼って友人や旅人が訪れてくれてくれることは嬉しいと言った。私はなんだか、優しい気持に満たされた。この人たちは、助け合って生きているんだな。これが、ウイグルなんだ。砂漠に囲われた厳しさのなか、豊かな葡萄畑に生きる人々。困ったらすぐ友を頼り、惜しみ無く助ける。そこには。彼らは普段はゆったりと仕事をし、既存の社会や宗教に多少の反抗を感じながらも毎週モスクに行き、礼拝の際に友と会い、握手を交わす。日常のことを話し、お互いのことを知る。友情を確かめあうといえば仰々しいが、彼らのゆるやかな友だちとの繋がりは、こういった風習により途切れることなく続くのだった。これが、ムスリムで、ウイグル人なのだ。砂漠と葡萄が不思議に融和すつ土地と、イスラムの文化から出で来た助け合いの精神。そこには……。近代社会を受け入れて伸長させてきた私たちが失った精神があった。私たち日本人にはまだ馴染みのないムスリムの、人と人とのあたたかい繋がりが、そこにはあった。スカーフを被った女性を四人も乗せたバイクが、楽しそうに話しながら通りすぎていった。

「ラムレーズンはありますか?」

私はやっと、日本語で聞いてみた。話してみると結局このおじさんもラムレーズンについては知らず、ここにはおそらくそんなものはないのだろうということになった。ラムなどなくとも、確かに豊穣の葡萄畑からはたくさんの種類のワインができるし、それで十分だった。愛らしい人々のつながりと豊かな土地。ここにはもうこれ以上望むものなどなかった。