ジェミーの散らかった部屋

りんごを丸かじりします

Arezou

イランのテヘランでバスを待っていると、若い男性が話しかけてきた。どこから来たの、自分はイランどこどこの出身で、など他愛もない話をしていたら、英語が話せる色んな人が集まってきた。その中のひとりにArezouという女の子がいた。彼女はゴルガーンというテヘランから400キロところに住んでいる、ぜひうちに来てほしいと言ってくれた。イランでは色んな人が家に招待してくれた。客人を招くのは文化であり見栄でもあり、本当に呼んでいるわけではないと後で聞いたが、私は何も知らなかったので、ありがとう!!!!と言ってそのまま泊まりに行った。旅人の暇人は、ビザが許す限りどこにでも行ける。彼女はご両親や弟さんや、友人を紹介してくれた。彼女は建築の勉強をしており、フランスで建築家になりたい、と言っていた。わたしたちは彼女の友人の車でドライブにでかけた。田んぼの風景が広がり、森が広がり、日本かと思った。中東は砂漠やオアシスのイメージがあるけれど、イランのカスピ海付近は稲作をするほど豊かな土地でもあることを知った。彼女とはかなり仲良くなったが、彼女は私が誰にでもついていきそうな旅行者であることを心配していた。

Arezouと次に会ったのはフランスである。私は旅行に行ったあとに語学にハマり、フランス語とロシア語をひたすらにやっていた。そしてフランスに行った。フランスでは階級社会と人種差別を露骨に見た。私は宿代をケチるためにパリ郊外で過ごしていたが、そこはアジア系移民がたくさんいる地域で、治安が悪いとされていた。白人の友達にはそんなところ泊まるくらいならうちに住め、とすら言われた。私はベトナム出身のカタコトのフランス語を話すおじさんに助けられたりしたのでここよりパリ中心部のが治安悪いと感じていたが。ただ白人のお爺さんに差別用語を言われりはした。ここは留学など身分保障付きでくるべきところだな、と思いつつ。Arezou はそんな階級社会で移民として生きていた。彼女は、リヨンの大学でフランス語の学位を取ったあと、個人事業として建築デザイナー事務所を開業、しかしそれでは生きて行けないためスーパーでアルバイトをしていた。なんというか、人生がままならないものであり、大人が皆平均に回帰していくことに、とても悲しい気持ちを覚えた。