ジェミーの散らかった部屋

りんごを丸かじりします

人間の意志

 

私はあまり人に対して怒りません。怒らない人間というわけではなく、しょっちゅうキレ散らかしているのですが、問題は大抵個人ではなく、背後にある社会やその構造、コンセンサスにあるため、個人に対して怒りをぶつけることがあまりありません。

 

先日美容院に行った際、美容師さんが障害者・ホームレスに対する差別発言をしていました。
「田舎から出てきて、都会にはホームレスとかいてワーワー唸ってたり変な動きしてて怖かったw田舎にはああいうのいないから」
のようなことを言っていました。


私はそれに対して怒りを感じ、脳内はキレ散らかしていましたが、怒りの矛先はその美容師さんではなく、背後の社会に向いていました。
病気かもしれない人々をそのように放置する社会、ホームレスに対する蔑視感情、理解できないものは同じ人間だと思わない、人権に対する軽視。


このような社会的背景が、その美容師さんをスピーカーにして話していただけだと思います。だからこそ、美容師さん自身に悪気がないことを理解していて、個人に対して怒る気になれないのです。

 

人間はスピーカー。

 

私は長らく人間のことや人間の意志が信じれず、人々のことを自分も含め、社会が私達をスピーカーにして話しているだけと感じてきました。人間はスピーカーでしかなく、そこに意志はない。背後の社会を一旦無視して、人間同士の伝達に目を向けると、人間はコピー機でした。人間は他人の発言をコピーする機械にすぎない。そう思うことによって、人の悪意や不正義を、その人の本物の感情ではないと思うようにしてきました。

 

 

しかし、最近は全てにおいてスピーカーやコピー機では無いと気づきました。


人間一人一人には芯のようなもの、個性と言えるようなものがあると思います。人は社会の色々なものにもまれて生きており、それぞれの経験をしながら生きています。その経験に対して、自分の頭で、自分の言葉で、自分の個性で以て考え抜いて出てきた言葉には、真の価値があると思うようになりました。それは結果的に他の人間と同じ発言となっても、コピー機ではないと感じました。


先程の美容師さんの話でいうと、大地震で被災した体験とそこからくる話は本物だと思いました。


彼の実家は海辺の民宿であり、そこは津波で全部流されてしまった。その時耐震対策がされた少し高台にある某プラントが開放されて、みんなそこに避難していた。その工場に対しては地元の人間としては清濁合わせた色々な感情があるものの、その時助けてくれたことやそこで働いている人々の真摯さは忘れない、といった内容でした。
(なんで美容院でそんな話をしたかと言うと、地元の話になった時に彼の出身地(被災地)に私がいったことあり、人間の頭の高さまで津波が来たという標識を見たという話をしたからです)


人への感謝という話は非常にありきたりですが、実際の経験に裏打ちされた言葉には、彼の中で噛み締められ、心の底から出で来た真の力があるように感じました。

 

誰かのコピーではなく、社会のスピーカーではなく、自分の頭で、自分の言葉で、自分の個性で以て考え抜いて出てきた言葉には、真の価値があると思います。

 

美容師さんのはじめの差別発言に対しては、私は「理解できないものを怖いと感じる気持ちはわかるけど、その人は病気かもしれないし、同じ人間だとおもってその人の立場で考えて見たほうが良いかもしれない」とだけ伝えました。その人が自分で考え、蔑視も含めた自身の感情に向き合い、自分の力で気付いてくれることを願います。

 

 

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元旦の大地震で、私はとても心を痛めていました。自分ではどうしようもない力で人が亡くなってしまうことに、やるせなさを感じていました。


なのに一部の人間は、安全地帯に住んでおきながら、人の心配をするでもなく、人が亡くなっているかもしれない災害を自分の意見を強化する材料として利用していました。ものすごく怒りが湧きました。倫理観とかないのかと思いました。


何も知らないくせに。何も考えてないくせに。


しかもその発言に共鳴している人たちの多さにも愕然としました。コピー機ですよ。まさにコピー機でしかない。自分の頭で今何をするべきか考えろよ、なんでそんな簡単なことも出来ないの、と思いました。人が亡くなってるのに?


私は人間のことを信じたい。信じたいんです。

 

とてもつらくなったので、友人のアドバイス通りXアプリ消してます。タイムライン見れないようになってるので連絡はその他手段でお願いします。