ジェミーの散らかった部屋

りんごを丸かじりします

音楽と人生 1 ーボロディン『イーゴリ公』「ダッタン人の踊り」についてー

 

 

風の翼に乗って 

故郷へ飛んでいけ 祖国の歌よ 

そこで私たちはのびのびと歌い 

あなたと自由に過ごしてい 

 

そこでは灼熱の空の下 

大気は幸福に満ちてい 

そこでは海が優しく語らい 

山は雲に囲まれ夢を見る 

 

そこでは太陽が煌煌と輝き 

故郷の山は光を注がれる 

谷間にはバラたちが咲き誇り 

緑の森で小鳥たちが歌う 

そして甘いブドウ畑が熟していく 

 

そこであなたに自由に歌った 

故郷へ飛んでいけ 祖国の歌よ 

 

 

アレクサンドル=ボロディンをご存知でしょうか 

ロシア人の作曲家で、本業は化学者、日曜作曲家として活動しました。音楽史で言えば、ロシアにクラシックを取り入れたグリンカの次の世代のロシア国民楽派「五人組」の一人です。ナポレオン戦争後、各国で民族主義が巻き起こり、西洋とは異なる歴史を歩んだロシアのロシア人らしさというものが編まれていった時代です。文学で言うとプーシキングリンカドストエフスキーボロディンが同時代人です。 

 

 

冒頭の詩は、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」の一曲、「ダッタン人の踊り」の歌詞です。 

この素朴で悲しく勢いのある音楽は、私の人生を大きく変えこそしませんでしたが、生まれながらに持っていた魂の根底に流れる価値観とうまく溶けあって、人生の通奏低音のように奏でられてきました

 

Polovtsian Dances with Chorus (from 'Prince Igor') 

https://www.youtube.com/watch?v=aGNObWgU2Qw 

 

 

 「イーゴリ公」はロシア民族と遊牧民族・韃靼人の関係を描いた歌劇です。(原語ではポーロヴェツ人(草原の民)となっていますが、ここでは日本で流用する韃靼人という訳を採用します。実際韃靼人=タタール人はロシア語においても遊牧民全体を指す語として用いられていました。)

 それはナポレオンの「民族主義」の波及でロシアのロシア性の捜索が始められた時代でした。ロシア人とはどういった民族なのか、ロシアはなぜ経済的に遅れを取っているのか、ロシアとは何か、そういったことが問われ、考察され、芸術などの形式で実現化したものです。

 プーシキンはこう考えました。ロシアが歴史的に無価値だという意見には異を唱える。ロシアはかつて遊牧民の侵入を受けた。西側のキリスト教文明へのタタール人たちの侵入を我々が食い止めた。しかしその代償として長くタタールのくびきを受け続け、ロシアは西側とは異なる独自の形でキリスト教文明を確立していった。

 プーシキンと同時代人にグリンカと言うロシア人作曲家がいます。グリンカはロシアの「最初の」作曲家とも言われています。と言うのは、もちろんそれまでもロシア正教会においてはミサ曲など作曲活動は行われていました。しかし近代的な作曲家:作曲家としてそれにロシア的なクラシック音楽を作ったのは実は彼が初めてで、それまでロシアに近代作曲家と言えるひとは出ませんでした。これも東方キリスト教文化のひとつの側面です。

 そのグリンカのひと世代後にボロディンをはじめとするロシア五人組がいて、反体制派を唄いクラシックの流れを汲みながらロシア的な音楽を作って行きました。メンバーはバラキレフ、キュイ、ムソルグスキーコルサコフボロディンロシア五人組の中でも、ボロディンはロシアだけでなくタタール人やペルシャ人などに興味を示し、そういった様々な民族と関わることによって織りなされてきたロシア人というものを表していると私は思います。

 

歌劇イーゴリ公について

話が大きくなりましたが、この曲が含まれた歌劇の話に戻ります。

歌劇とはイタリアのオペラから派生したジャンルの一つで、オペラに合唱・クラシック・踊りを混ぜ込んだ華麗な舞台のことを指します。「イーゴリ公」という壮大な歌劇は、中世ロシアの伝説的な叙事詩イーゴリ公遠征物語」をもとにボロディンによって構想・作曲されました。未完のままボロディンが亡くなったため、コルサコフグラズノフが編曲・再構成して世に送り出されました。

舞台はロシアがルーシだった時代。イーゴリをはじめとする公たちがルーシを韃靼人の侵入から守るために遠征に駆けて行きました。しかし彼らは屈強な韃靼人たちに壊滅させられました。イーゴリや息子ウラジミールは虜囚の身となってしまいます。対する韃靼人たちは、コンチャーク汗(ハン・王)を長としてまとまっていました。コンチャーク汗はイーゴリと手を組むために捕虜たちを奴隷にせずにもてなします。イーゴリにルーシを裏切らせ、共に攻めようと提案しました。そこで歌われるのが有名な「韃靼人の踊り」です。

ダッタン人の踊り」場面の合唱は大まかに、四つにわかれています。 

1女奴隷たちの踊り、2荒々しい男たちの踊り、3ハンを讃える歌を歌え、4全員の踊り 

文頭の詩はこの歌の1の部分です。草原の民の王がカスピ海沿岸で捕虜にした美しい奴隷女たち、彼女らが自由に過ごした故郷を慕って歌うかなしい旋律です 

 

ボロディン オペラ「イーゴリ公」より「韃靼人の踊り」2013/02/10

指揮 サイモン ラトル  ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

https://www.youtube.com/watch?v=Uq984sKqokI

 

以下は曲のイメージです。上のリンクを聴きながらあなたのイメージを膨らませる助けくらいの気持ちで読んでください。

「韃靼人の踊り」

美しい奴隷たちの踊り

ペルシャ風の優美な旋律、草原の民の音楽、

弱く美しい高音が心に風を吹き通り過ぎていく

この音が私たちを故郷の憧憬へ連れていく

かつてあった自由、自分が過ごしていたはずの場所、本当の自分でいられた場所

そこであなたは自由に歌った。

そこで私たちは気ままに踊った。

4拍子なのにあたかもワルツのように心が軽やかに跳ねる

故郷から引き裂かれた離れた悲しみが妖艶にすら映る

遠く広く永遠の故郷 そこは本当はどこにあるのだろう

故郷まで飛んでいけ、祖国の歌よ。

 2

転じて馬の軽快な足音 荒々しい男たちの踊り

大草原に生きる草原の民の男性の歯切れ良い足踏み

軽やかに草原から空の上まで駆け抜けていく

子気味良いリズムに力強い男性的な低音

風を感じて青空のもと地平線まで駆けていける

 3

そして崇められる汗(ハン、王)

兵士も女たちも混声で全ての人種がハンの威光を華やかに褒め称える

肉体的な強さ、王の気運を持つ者だけに宿る精力、隣国を次々にものにしていく才覚、広大な世界に広がる権力、

古今東西全ての力が今目の前の、この王に集められているかと錯覚するほど

 4

女たちの伸びやかな自由と対比された、男たちの頑強な秩序と権威の活力

哀愁をはらんだ豊かな個人の思い出の波、牢固たる屈強な集団のなす規律の迫力

その対比も韃靼の一大国家をなす要素であり

悲しみも活気も全て王の絶大な権力に吸い込まれ華やかに漲る

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イーゴリ公は接待を受けても、コンチャーク汗に言い寄られても決してルーシを裏切りませんでした。コンチャーク汗はその強い意志に感動して、イーゴリら捕囚たちを全員解放します。イーゴリの息子ウラジミールはコンチャーク汗の娘と恋に落ち、韃靼の中に留まります。イーゴリの帰りを待っていた妻ヤロスラーヴナたちは彼らの帰還を歓喜とともに迎えます。

 

私がこの歌劇で好きなところは、悪役が一人も出てこないところです。ロシア人のための作品であるにもかかわらず、むしろルーシたちも王も人々も、皆が善良で強くも弱い等身大の人間として描かれています。故郷ルーシに忠実で勇敢な、息子を遠くに離す悲しいイーゴリ。屈強ながらも捕虜を殺さないコンチャーク。愛の力の素朴で優しいウラジミール。夫と息子を待つ純朴なヤロスラーヴナ。美しく弱い女奴隷たちと屈強な韃靼の戦士たち。韃靼の公主がロシア公子に嫁ぐ点で当時のロシアの辺境支配の思想に迎合しているとも批判されますが、それ以上にボロディンはロシアと関わりをもつ他民族に尊重と敬意を以っていたことが窺えます。

 

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 この素朴で悲しく勢いのある音楽は、私の人生を大きく変えこそしませんでしたが、生まれながらに持っていた魂の根底に流れる価値観とうまく溶けあって、人生の通奏低音のように奏でられてきました。

 

 

後半に続く