ジェミーの散らかった部屋

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ノスタルジアの主題と水の表現

 

第1章: 導入

ノスタルジアとは普遍的な、全人類的な感情である。しかし、タルコフスキーが述べるところによると、ロシア人にとってのノスタルジアはより深く、根深いものである。

「ロシア人は、新しい生き方に簡単に適応することはめったにありません。同化することへの彼らの悲劇的な無能力、異国人の生活様式を採用する彼らの努力の不器用な無能さを知っています。ノスタルジアを作っているときに、その映画のスクリーンスペースを埋め尽くす息苦しい憧れの感覚が、私の人生の残りの部分になることを想像できたでしょうか。」

タルコフスキーの述べるノスタルジアとは、懐かしさや過去への渇望だけでなく、生の基盤が引き剝がされた感覚がそこには読み取れる。タルコフスキーが描いた病は、故郷と引き裂かれ、単に異国から祖国を思う病だけではない。それはまた人間の、自分自身からの、または自分のルーツや大地からの疎外の表現でもある。ノスタルジアが表したのは一個の人間が思想・行動の限界に直面し、絶望せずに生き続ける方法を模索する格闘である。

ノスタルジア』は、1979年に公開されたアンドレイ・タルコフスキー監督の映画で、彼の故郷であるロシアを離れた脚本家が、イタリアの風景に触れながら過去の思い出と向き合う物語である。映画は彼の内面の葛藤や人間関係を独特の映像美と哲学的なテーマを通じて描き、ノスタルジアや過去への渇望の感情に深く迫っている。この作品はタルコフスキーの代表作の一つとして高く評価されている。

本作品には水が象徴的に使用されている。温泉場、雨、廃墟など水の表現が使用されている。本書では、タルコフスキーの水の表現と主題との関係性について、詳述する。

 

 

第2章: 水の象徴としての意味

水の使用は詩的なものであり、視覚と無意識への刺激の到達を促す。

ノスタルジアに出没する霧は喪失感と叙情的な憧れを感じさせる

ノスタルジアでは、壊れた壁と溜まった水は、現在からの鬱病と分離の状態を示唆しており、それは非常に蔓延しているため、ほとんどすべての風景が霧や雨に覆われている。

  1. ドメニコの家

ノスタルジア』に出てくる水の表現で、何よりも印象的なのはドメニコの家であろう。ドメニコの家は、アンドレイの精神の亀裂を表している。屋根は隙間のある穴でいっぱいで、建物の内部は外部の自然の兆候(草や水)と混ざり合っている。心の内部の肖像画、思考のプール、多孔質の壁、不安定な境界をスケッチする半開きの部屋もそれを強調する。壊れた壁と溜まった水は、現在からの鬱病と分離の状態を示唆しており、それは非常に蔓延しているため、ほとんどすべての風景が霧や雨に覆われている。

  1. 温泉場

はじめて温泉場にいるシーンでは、湯気が立ちこもり、人々の話し声は聞こえるが、姿や顔は見えない。これはアンドレイの実際の関心による感覚を示している。

アンドレイがノスタルジアに襲われるとき、マリアと涙を流したエウジェニアの抱擁するシーンを見る。これはロシアとイタリアの融合、まさにアンドレイが夢見た「国境をなくすこと」を指しているが、マリアは悲しみの表情で涙を浮かべている。

  1. 廃墟

廃墟では、アンドレイが、アルセニー・タルコフスキーの作品を口ずさむ。天使を語源とするアンジェラという女の子からわかる通り、ここは現実ではなく精霊的な体験である。アンドレイは頭から水に浸りながらロシアの寓話を話すがその顔は、作品中唯一笑顔を見せている。水によって大地との「境界をなくす」ことであるかのように、大地と溶け合っている。水がアンドレイの身体を包み込み、浄化や再生の象徴として描かれている。

  1. 温泉場を渡る場面

最後のシーンの温泉では、ろうそくを持ったアンドレイが温泉場を渡る。火が消えないように慎重に、一歩一歩進む足音が温泉の水の厳かな音で表される。観客はこの荘厳なシーンによって、魂の浄化を追体験することになる。

ノスタルジアのイメージの中で、娘が犬と遊び、犬が池の中を走っていく。故郷の美しい思い出であり、その水の勢いには喜びを感じることができる。(なお、ドメニコから解放された家族が警察の靴にキスをするシーンでもあふれる牛乳が歓喜を表している。)それと呼応するように、最後のシーンでは、アンドレイと犬が故郷の家を背景におり、その姿が池に映し出されている。

最後のシーン、イタリアとロシアが融合した世界には雪が降る。この「国境がなくされた」世界全体に降る雪は、その境界をかき消し、アンドレイの夢を具現化する。

 

第3章: 水の表現手法と映像美

タルコフスキーは水の表現において、独自の映像的手法を駆使している。以下にいくつかの代表的な手法を挙げる。

  1. 鏡面効果:水面を鏡のように扱い、映り込む景色や人物を映像に取り込む手法を多用する。これにより、水が現実と夢幻の世界をつなぐ境界線として機能し、観客に奇妙な感覚を与える。
  2. 静止画の使用:タルコフスキーは水を静止させた状態で撮影し、静止画のような映像を作り出す。これにより、時間の流れや記憶の揺らぎを表現し、観客に物悲しい美しさや不確かさを感じさせる。
  3. ゆったりとしたカメラワーク:水の流れや波紋をゆったりとしたカメラの動きで捉えることで、静寂さや浮遊感を演出する。これにより、水の存在感や儚さがより強調され、映像に独特の詩的な雰囲気が生まれる。
  4. 音の使用:水の音を重要な要素として取り入れる。滝の轟音や雨の音、水の流れる音など、水の存在を視覚的な映像とともに聴覚的に体験させることで、映画の世界に没入感を高める。

これらの手法は、タルコフスキーの映画作品に独特の雰囲気と情感をもたらし、水の象徴的な意味や物語性を表現する役割を果たしている。彼の映像的なアプローチは、観客に深い思索や感銘を与える一方で、美的な視覚体験を提供する。

 

また、水の音響効果も重要な要素である。滝の轟音や雨のしずくの落下音、水面を泳ぐ音など、自然界の音が鮮明に再現されることで、映像に臨場感とリアリティを与える。これにより、観客は映画の世界に没入し、水の存在感をより強く感じることができる。

独特の映像美と音響効果は、観客の感情と相互作用し、物語性を高める。水の静寂さや流動性、浄化や再生の象徴といった要素は、ノスタルジアの感情や時間の流れの揺らぎを象徴しており、観客の共感や思索を引き起こす。このような映像美と音響効果の組み合わせによって、『ノスタルジア』は深い情感と独特の雰囲気を醸し出し、観客の心に残る作品となっている。水の流れや反射、光の表現を通じて伝えられる感情や物語性について解釈する広がりを作品はもっている。

 

第4章: 結論

本書では、アンドレイ・タルコフスキーの映画『ノスタルジア』における水の表現について検討した。

映画『ノスタルジア』において水は、アンドレイの内面を象徴的に表現する要素であり、鬱屈とした内面や、喜びなど様々な感情を表現する。また、水は浄化の象徴としても機能し、苦痛な儀式による魂の浄化を表す。

 

タルコフスキーの独特な映像言語と水の表現は、観客に対して深い響きをもたらす。水の映像美や音響効果は視覚的・聴覚的な感動を生み出し、鑑賞者に水の象徴としての意味や映像の美しさを体験させる。これにより、鑑賞者は自身の時間の流れや記憶の揺らぎ、浄化や再生への思索に共感し、ノスタルジアの感情をより深く理解することができる。