ジェミーの散らかった部屋

りんごを丸かじりします

えげつない祖父

 

 私は祖父を知らない。彼は50代で早逝した。どの孫の顔も見なかった。

 私は祖父がいわゆる昭和の怖い親父であるような話を聞いていた。しかしあるきっかけからとても興味深い人物に思えた。彼の若い頃を知るべく祖父の知己である松沢さんという方の居所を祖母に聞いた。電話もわからなかったので、私は失礼を承知しながらその住所に訪れた。念の為仏壇にあった祖父の写真を借りた。

 

 それは東京の文京区にある、大きな日本家屋だった。塀は漆喰かと思われる白さで、古い木の門には黒光りする金属の荘厳な加工がされ、たどり着くには石畳が連なっていた。その日は死ぬほど暑くて、太陽が漆喰を真っ白に反射させていた。門の前につくと木の表札に力強い楷書で松沢と書かれていた。恐る恐るインターホンを鳴らした。

「松沢一昭さんはいらっしゃいますか?」

「はあ、おりますけど。」

 私は祖父のことを聞きたいという用件を手短に伝えた。インターホンから「はあそうですか、ちょっと待ってください」と聞こえた。遠くの白い雲がゆったりと近づいてきた。しばらく待っていると、重々しく金属がキイ音を立て、門が開けられた。体格の良い初老の男性が出てきた。白いTシャツと赤い半ズボンを身に着け、頭は短く刈りあげられ、ガキ大将がそのまま大人になったような見た目だった。明治時代のようなちょび髭がその威厳になんとも不釣合だった。 

 「どうぞおあがりください。」インターホンと同じ声が発された。 私は後につづいた。門の先は入口の石畳がそのまま続き、その端は背丈くらいの竹林になっていた。家は立派な日本家屋だった。切妻屋根は奥まで真っすぐと伸び、釈薬瓦が力強く太陽を反射している。大きく堂々たる後ろ姿はこの邸宅の持ち主然としていた。彼は私に何も聞かず、私は邸宅に目を奪われて何かを切り出そうとも思わなかった。 

 「どうぞ。」と案内された玄関土間は広く、客席一式が置かれていた。正方形で角が柔らかく丸くされたテーブルに、直角の背もたれの椅子が置いてあった。ふすまを三つ通って客間に案内してくれた。漆が美しく輝くめずらしく入側縁で、庭園が広く見渡せた。

 私は促されてそこに座った。ガキ大将のおじさんは木に肘を置きながら話し始めた。おじさんはは祖父の友人、一昭さんの息子さんだそうだ。ます、わざわざ来訪してくれたことに礼を言われた。一昭さんは昭和3年生まれの91歳だ。彼はベッドで寝たきりだけれども、記憶以外は、年齢の割にははっきりとして、動くことも話す事もできるそうだ。おじさんは、一昭さんが私と話してもいいと言っていることと、私に大きな声で話すように伝えてくれた。

 靴を脱ぎ、家の奥に案内された。車椅子に座って、背中を丸めた痩せて小さい人物がその人のようだ。おじさんとは似付かない。このおじいさんは別の時代の人物を生きた人ということがはっきり見て取れた。堅く座った目で私たちの動きを追った。真っ白な髪が抜け切ることなく優しく彼に身についていた。

  私は挨拶して、来訪の目的を伝えた。つまり、私の祖父の話を聞きたいことを伝えた。おじいさんは私を見つめたまま動じなかった。私ははっとして、もう一度聞きたいことを伝えた。大きな声で、ゆっくりと。そして、私は友人の孫だと。

 おじいさんの表情が少し動いた気がした。彼の不動の目は少し青がかっていて、涙丘のそばに老木のような瘤がある。肌は皺の一つ一つが年輪のように重なり、90年を超える長い月日を思わせた。

 私の祖父が亡くなったのは正確には56才だ。彼はそれ以上歳をとらない。彼の時間はそこまでで、それ以上の祖父のことは誰も知らない。祖父の時計はピタリとそこで止まり、それが完成された形として残された者たちの記憶に留まっている。なのに祖父の友人であるこの人が、未だ未完成のままこうして長く生き、時計を動かし続けていることが不思議に思われた。年齢の数以上ありそうな皺を動かさずに止まっていた。

 突然流れ星のようにおじいさんが大きく目を開けた。そしてゆっくりと元の表情に戻り、呟いた。

「おお、叶野か。叶野貞治。あいつは力のあるやつだった……。 」

 

  感激の身震いが顔から肩を通って身体中に伝わったのが見えた。おじいさんは郷愁の波に流されそうになるのを意志の力でせき止めて、私の目をじっと見つめた。

 

「君は貞治の孫なのか。」

 おじいさんの目。顔は皺で折り畳まれているのに、青く滲んだ小さな瞳には力が宿ったように見えた。目だけは年を取らない人がいるのだ、と初めて知った。

 その語気は若さが滲みはじめ、次第に力強い一人の青年の告白を聞いているような気持ちにもさせた。未来のある清らかな目をしていた。年月による忘却か感情の氾濫のためか少しつっかかえながら話してくれた。未来のある明るい若者の話し方だった。

 私が貞治と会ったのは、遠い昔、私たちが高等学校の時分だった。貞治は特異な人物だ。彼はいつも一人でいたが、その存在感は雷のように輝いていた。

 少し吊り上がった目は何を言っても説得力がある。背丈は普通だが顔が小さいゆえに彼の美しさと存在感は増している。彼は小さな商家の生まれであった。当時高等学校に通ったのは僕らのように華族や国会議員、弁護士の家がほとんどだった。ただ彼は肩身がせまいと感じたことはないようだ。家は裕福ではないが、学業に秀でた彼は家では誇らしいと思われていたようだ。彼は普段誰ともつるむことなく、いつもどこかへふらっと消えていった。

 授業では先生の目を盗んでは本を読んでいた。変わり者ということで通っていたが、寡黙ながら愛想がよく、誰ともつるまないが話しかけるとなんでも打ち解けるように語った。私が彼の中で一番仲がいいのではないか、と誰にでも思わせるような愛嬌があったと思う。実際彼は友人多かった。私も彼と時たま話した。すぐに分かったことだが、奴は試験の成績の割には学に励んではいなかった。むしろ本を読むことを好むだけで、よく熱心だと勘違いされるようだった。その勘違いは便利だから特に打ち消したりはしなかった。彼は多くの人に漏れずに試験が嫌いだったが、他の友人たちとは異なった方法で憎んでいた。試験が迫ると教室は普段とは異なった様相になる。勉強のために休憩時間に机に向かう者たち、内心冷や汗をかきつつそれを嘲笑する者たち。試験という圧力から視線が錯綜し、教室全体が妙な緊張に押し込まれた。彼は必ずそういった空間から一目散に逃げいった。大抵どこか日陰で小難しい名前の論説や厄介なフランスの小説を読んでいた。ある時また木の根に寝転んで本を読んでいた。私はそこに歩み寄り、彼に聞いた。

 「お前は試験前も普段と同じように過ごしているが、家では勉強しているのか。」

 貞治は読んでいた本から黒い瞳のみをこちらに動かした。その跳ねた目は挑戦的な調子を持っていた。

 「馬鹿らしい。僕は人生に興味がないから学問をするんだ。」彼は読書に戻った。

 学問というのは身を立てるために行うものだと儒教の頃から教えれている。世界の仕組みを知ること。人間の考え方を探求すること。人々が作った仕組みをよりよく理解すること。特に彼のような裕福でない家の出ならば家族に期待されて社会的な成功を夢見るものだ。少なくとも己の意志を持って良い人生に向かおうと試みる。

 貞治はその点もかなり異なっていた。

 読書の時間を延ばすべく、弁護士を志すという体で帝大へ行こうとしていた。当時のあの小さな家ではかなり尖った性質だと思う。その割り切ったさっぱりとした正直が人を惹きつけた。のちに私も彼も大学予科に進んだ。世は太平洋戦争が始まっていた。

 

 僕たちの多くは世間の波とは隔離されたように学校の日々が続いた。 僕の周りは誰も招集されなかったし、当たり前のように学課や試験が課された。ただ裕福でない家の者は親戚が軍隊に行ったりなどしていたようだ。貞治も家は富有ではないはずだが、そのような話は一切しなかった。自分は所謂エリートだから兵役を免除されている。しかし従兄弟は戦争に行く。親族のため、家族のため、国のため、己の役割を果たそうと努力していた。実力でのし上がってきた者は大抵真面目・勤勉だ。努力家は真面目同士で輪をなした。貞治を除いては。僕らは友人として身分で差別することはなかったが、ある種潜在的な優越を持って生きていた。僕はある時優越の輪のうち一人が、貞治にに突っかかっているのを小耳に挟んだ。輪の中から吠えるのは子犬のように滑稽に見え、正直に言うと、興味を持って耳をたてた。

 「叶野、お前の家はお前を育てるため身を削っているのに役に立たない本ばかり読んで許されると思っているのか。家にも国にも恥ずかしくないのか。」

 私は犬がかみ合うような喧嘩が始まるのを想像していた。しかし貞治の答えは異様だった。

 「俺はこういう人間なんだ。それを恥じる気は無い。」

 「俺が言いたいのはな、お前は華族の生まれでも学者の家でも何でもないのに傍若無人なんだ。そんなことは許されない。」

 「許さないのは誰だ。お前が気に食わないだけだろう。」

 意表を突かれたのか、子犬はしょんぼりして輪に戻っていった。

  私はこれを見て爽快な気分になった。同時に己の狭量を恥じた。私の興味は、子犬のたちの醜い争いを身分の高みから眺めることだった。しかし、貞治はその上を行っていた。人間の小競り合いの外にいて、いわば雲の上を飛んでいるような奴だ、と思った。

 

 そんな平凡な学生生活は突然終わった。戦争が佳境に入ると、学生たちの疎開の意図も含めたのだろう、私たちは学校ごと田舎に移された。私は遠足のような気持ちでいた。世の中の戦争という事情は、私たちにとってはラジオから流れてくる音声、新聞から得る写真でしかなく、現実味に欠けていた。この年齢でも周りの誰もが召集されない。この予科に在籍する多くは高額納税者の子息で、未来の有望な若者だったから。遠くへ行くことが決まって、長期間家を離れることが稀であった私や友人たちはどことなくそわそわした。今起こっていることも、これから起こることを理解していなかったのだろう。いや想像力が欠けていたといった方が良い。我々は乗ったこともない2等の電車に飛びついた。車窓から田んぼが見えたり、駅に到着するだけで車内は湧き上がった。現実を知らない若者の、非日常の喜びで満たされていた。

 私や貞治は同じ兵器工場の配属だった。我々数十人は整列をさせられ、工場長から歓迎の挨拶があった。例によってこういった話は退屈でで中身がなかった。最後に君たちのような若く有望な諸君が国のためにここに来られたことを誇らしく思うと締めくくった。貞治は聞こえるくらいの音で鼻で笑って僕は肝が冷やされた。

 工場は非常に大きかった。

 有望な生徒たちは、国のための勉学から国のための鉄砲づくりに方向に変え、真剣に従事した。彼らは貞治はもともと小さい作業のようなことが得意だったようでその作業に苦はなかったと見える。寄宿舎に帰ると少しの飯が用意された。まわりの生徒たちは作業の効率化、よりよい銃器の製造法、など熱心に議論しあった。黙々と作業する時間長く、彼は本から切り放されている分思考する時間が大いにあった。それは彼にとってとても良かった。貞治は少しずつ無口になっていった。頭の中だけの思考は自由だった。疲れた時は音楽を脳にけた

 ある夜貞治は語った。

 「あの工場、僕たちが来るまでは誰が居たと思う。」

 私は彼を見た。そんなことを想像すらしなかった。彼が何を言おうとしているか何となくわかった。考えにも及ばなかった自分を恥じた。彼は続けた。

 「僕たちが次にそうなることはないだろうよ。この学校の親たちの身分を考えれば。でも、これだっていつまで続くか、わかったもんじゃない。時代が時代だから仕方ないことだが。」

貞治はさらに寡黙に作業するようになり、紛れもなく工場内で一番の腕となっていた。それは他人には大変真自面に映り、彼はさらに重宝されるようになった。しかし貞治はますます寡黙になっていった。彼の頭の中には読書と思考があった。友人たちはトップの彼から業を盗もうと話しかけた。

  あるとき彼は私に漏らした。

 「ここでは本が読めないから想像力と音楽だけが生きがいた。」

 彼は黙っていたが、そこであまり馴染まなかったのだ。 それはそうだ。世間に興味のない飄々とした学者気質の奴が、たとえ器用だったとして、国のために兵器を作っていて平気なわけながない。

 

 「負けるよ。」

 ある時貞治は突然言い放った。その途端熱い工場が凍りついた。工場の全ての手が止まり、全ての目が彼に向いた。本当は誰もがそのことを暗に感じ、それでも決して口にせず、前を向いて今の仕事に真摯に向きおうとしていた時だ。 

 「なんだ君たち。勝つとでも思ってたのか。」

 彼は失笑した。僕らは唖然として彼の一挙一動に注視した。 

 「こんなことはやめだ。俺はこんな虚無に付き合ってられない。」

 手に持っていたトンカチをそばに投げ、彼は出口へ向かって行った。音楽のように激しかった工場は静寂に包まれ、彼の通り過ぎていくところをみんなが見ていた。

 工場長が「戻った戻った」といって再び作業が始められた。工場内は騒がしくなり、一見元の活気が戻ったようだった。貞治の作業場以外は。私たち皆の心には大きな黒い穴が静かに残された。貞治の作業場は誰もいないことによって、より多くのものを語っていた。

 我々は精神的な基盤を簡単に変えてしまう。鍵穴の形にあわせて自分自身を簡単に変えて生きていく。それが友人であれ上司であれ社会という大きな流行であれ、世間の人は相手の要求に応えて変幻自在に。それが生きていく術であり、人々から尊敬される条件なのであろう。然るにこれが幸せになる一番簡単な方法だ。自分の芯を持たず、世間の風向きが変わるたびに価値観を臨機応変に操るのが生きやすいのだ。 

 それから誰も貞治を見ていない。探す気力も失せてしまう、彼はそんな去り方をした。

 

  半年ほどのち、果たして貞治が言った通り、日本は負けた。天皇の放送を聞いて謝ったり泣いたりする者は多くいたようだ。日本全体が苦境が終わった安堵と敗北感に打ちひしがれていたときだと思う。対して僕たちの工場は、全員が夢うつつなのかというほどぼうっとした空気が流れていた。貞治が言い放った虚無が私たちの心の中で芽生え、育ち、その訪れを待っていた。本物の虚無となり、春を待つように終戦を待っていた気もする。彼は特高に捕まったという噂もあったし、自殺したという噂もあったが、私は彼が何処かで生きているだろうという希望を持っていた。しかし二度と会うことはないとも思っていた。

 

 どんなに仲の良い人間であっても、人は会わないと記憶が薄れる。私は家のことで忙しく、終戦のあとのごたごたで彼のことを忘れかけていた。そんなとき、突然彼はこの家に現れた。

 彼とは積年の話がある。誰だって戦争という巨悪に巻き込まれ、物語を持っている。貞治は、あのあと、工場を去ったあと一体どうなったのか。生きていただけでも驚きである。

 貞治は終戦まで木こりをやって自活していた、そう言い、それ以上は何も言わなかった。彼が訪れた理由は、印刷業を始めるから出資してほしい、ということだった。私は上の空で承諾した。

 山で木こり……。

 彼が去ったあと、頭の中で何度も反芻された。戦争中であるにもかかわらず、工場を去って、特高もすり抜けて、自由に暮らしていた、と。戦争とはそのような馬鹿らしいものだったのか。実に皮肉だ。貞治らしい。

 

 日本が戦争に負けたから貞治はよかった。焼き崩された東京の街のように、それまでの価値観がぐしゃぐしゃになり、新しく作り直さなければいけないからだ。貞治は元々負けると予想していたわけだが……。

 そしてあの学者気質の貞治が、商売を始めるという事実に、現実のままならなさも感じていた。彼は語らなかったが、お家柄苦労して入った大学を戦争によって放り出され、戻れなかったということだろう。

 その後、貞治は商売に成功し、家をもうけ、子女を学者になるまで育てた。あのような骨のあるやつは他におるまい。

 

 おじいさんは、ゆっくり話し終えた。昔を思い出し、満足したのか、そのまま幸せそうに眠ってしまった。

大きな日本家屋から出ると、空の青さ、夏の日差しをとてもまぶしく感じた。