ジェミーの散らかった部屋

りんごを丸かじりします

フィッシャー『資本主義リアリズム』を読んだ

 

自由を愛しています。世界が嫌いです。

 

ここから逃れるために長い旅に出ました。

古代の文明に胸を高鳴らせて、中国に行きました。

昔の偉大な国々を思い巡らせ、トルコにたどりつきました。

イスラム文化に憧れて、イランに旅立ちました。

サガンのような内なる旅を求めフランスにつきました。

世界が広がると期待して、フランス語も学びました。ルモンドを読みました。

詩のような世界を追い求めてアルメニアへ旅立ちました。パラジャーノフのような美しき幻想に触れました。

遊牧民の憧れを胸に、キルギスへと向かいました。

 

すべて、だめでした。

すべて、

すべて。

 

"オリエンタリズム"がいけなかったのでしょうか。

そうではないと感じました。

 

どこの国にもその土地の地獄がある、というだけでしょうか。

それも違うと思いました。

 

どこに行っても何かに付きまとわれていて、逃げれないのでした。

どこかに逃げているのに、脛は重々しく鎖で繋がれていました。

本当はどこにも行くことが、できないでいたのでした。

囚人のように、足の鎖からは、血が流れていました

 

本当の自由を与えられても、人はその使い方がわからない

いや私たちははじめから……

 

旅を続けるうちに、自分のためだけの美など、もうこりごりだと

思うようになりました。

観光が楽しませてくれる美など、

事実を忘れさせてくれるほどの力はありませんでした。

それどころか、気づいたら「美」は、より大きく、ぐにゃぐにゃと私を覆い、

身動きを取らせなくさせました。

 

いつか空の飛び方を知りたいと思っている者は、

まず立ちあがり、歩き、走り、登り、踊ることを学ばなければならない。

その過程を飛ばして、飛ぶことはできないのだ。

でも飛ぼうとしても、地上からの鎖が足を引っ張り、地面に墜落しました。

 

どうしようもなくて、私はここに戻りました。

身動きがとれないまま、身体がいびつにまがったまま、かろうじて、ここにいます。

 

 

 

自由は。

 

 

 

小学生のころは、先生を言い負かせば勝ちでした。

シャーペンを使用してはいけない、という不条理には簡単に対抗できました。

反権威・カウンターヒーロー

修学旅行の夜にみんなでこっそり外へ散歩して、満天の星を見ました。

それが大人に守られた小さな瞳に映る、ささやかで、美しい自由でした。

 

でも、その先は、ずっと複雑でした。

 

相手はいませんでした。

誰もがみんな張り付いたようにニコニコしていました。

みんなとてもやさしかった。

私は溺れている。

私は苦しくてもがく。

みんな、あなたの選択だから、といいました。

いや、わたしは選択していない。

私の選択肢は、ここにはない。

それでもあなたが選択した。

 

いいえ、だって

ささやかなあつまりはすべて回収されました。

小さな反抗もすべて回収されました。

それに、あの人は、死にました。

 

それでも、相手が誰なのか

まるでカフカの城のように

それは人魚姫の泡のように

 

私は人の意思を信じなくなりました。

人間はコピー機

永劫回帰

 

それからは、もう永遠に同じことの繰り返し

何も見ない。興味をもたない。本当のものには決してさわらない。

さわったら、私がガラスになって割れるから。

 

さようなら、人生

本当の生を、生きたかったね。

 

 

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資本主義リアリズムとは、資本主義以外のオルタナティブが存在しないという態度を指し示しています。この考え方の結果、変革に対する希望が失われ、人々の間に深刻で蔓延した無力感や文化・政治的な停滞が広がっています。新しいものを生み出せないため、パスティシュ(模倣)やリバイバル主義(復古主義)が支配的な傾向にあります。

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ポスト・フォーディズムの監査社会:

ポスト・フォーディズムの管理社会では、大文字の他者による指示命令の方式ではなく、フィードバックによる制御が主流となりました。「決めるのはあなた」のような自己決定の原則が重視されます。

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